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林業の歴史

林業の歴史

2017年4月3日

 川上村をはじめとする吉野地方に植林が始められたのは、今から500年程前の室町時代です。一般に吉野の樹木が大量に出回るようになったのは、天正年間に豊臣秀吉が吉野地方を領有し、大坂城や伏見城をはじめ各地のお城やその他の建築にさかんに利用された頃です。その後、徳川幕府の直領となり、住民の生活は林業に支えられるようになりました。

 江戸時代には木材の需要が飛躍的に増加し、山地の森林資源は少しずつ減少しはじめ、造林をする必要が生まれました。吉野地方は山地なので耕地も少なく、森林資源を維持することが唯一の生き残る道だったのです。しかし、刈出生産の過程でも利益を上げることは少なく、一方では村に課せられる税金は大きく、資本を蓄積させる余裕はありませんでした。そこで村では、郷内の有力者に林地を売却、あるいは造林能力のある人に貸し付ける制度をつくり、造林を促進しようとしました。

 しかし、山村の住民には造林地を維持する資力がなく、元禄年間(1700年)には商業資本の消費貸付を通じて借地林が発生していきました。木材の販路の拡張、とくに寛永年問(1670年)より始まる銭丸太の製造、亨保年間(1720年)より始まる山地での樽丸製造などの木材利用技術の発達による販路拡大に伴い、造林の方法は集約化し、木材業者の組合による流筏路の改良などの努力によって造林可能区域が拡大してゆきました。

 全国で大乱伐が流行した明治維新前後にも風潮に乗らず高齢林は維持されました。明治10年(1877年)前後の材木の価格が高騰した時代に高齢林はやや減少しましたが、一方で再造林は確実に行われ、さらに天然の雑木林は林種転換されて、スギ・ヒノキの人工林が拡大していきました。基本的には長伐期施業が行われていますが、明治の終わり煩から磨丸太の生産が一部で始まり、時代の変遷によって1940年頃に樽丸から柱角の短伐期になり、1970年代の吉野杉ブランドの材価高騰時代、1980年代のヒノキ・スギ集成材単板の時代を迎えるに至っています。

 

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