このページの本文へ移動

トップへ
戻る

奈良県川上村
メニュー
検索
アクセシビリティ

山で生まれ、山で育ち、山で働き、山を伝える。めぐりめぐる山の達人の人生。

山で生まれ、山で育ち、山で働き、山を伝える。めぐりめぐる山の達人の人生。

2018年1月23日

oda01.jpg

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅  」を開催しています。今回は辻谷達雄さんを取材し、取材に参加した3名(小田芳美さん、福井崇生さん、前田知里さん)が記事を作りました。このページでは小田さんの記事を代表例として掲載していますが、外部ブログに他2名分の記事も載せています。そちらもぜひご覧ください!
 
▼福井崇生さん
 
▼前田知里さん
 
▼小田芳美さん
山で生まれ、山で育ち、山で働き、山を伝える。めぐりめぐる山の達人の人生。
 
第5回目の「むらメディアをつくる旅」、今回は山の達人達っちゃんこと辻谷達雄さんのお宅におじゃましてお話を伺います。川上村柏木地区。大峰山から降りてきた修験者が利用する行者宿として知られる明治間創業の「朝日館」から山道を登っていったさらに山深い所に達っちゃんのご自宅はありました。まるでアスレチックのような玄関までのアプローチをわくわくしながら登って、いざ達ちゃんの元へ!
 

oda02.jpg

通称達っちゃんこと辻谷達雄さんは今年で84歳。川上村で生まれ、15歳から山で働きはじめました。山仕事60年以上のまさに山の達人です。
 
ご自分で設立されたヤマツ産業有限会社を65歳の時にご子息に任され、都市住民との交流を通じて山村や林業を活性化させたいとの思いで始められた「達っちゃんクラブ」は今年で開催20年目となります。
 

oda03.jpg

20年で参加人数約8300人!
 
「達っちゃんクラブ」では、達っちゃん自身が先頭になってハイキングや自然観察、郷土食づくりなどのイベントを、月一回を基本に開催してきました。参加者は奈良県をはじめ近畿各地から集まり、年代も赤ちゃんからお年寄りまでと幅広く、参加申込は定員を超えて抽選になるほどの人気です。
 
その「達っちゃんクラブ」の魅力を物語るのが、参加者の半数がリピーターだということ。もちろんイベントの内容がおもしろいということもありますが、人気の理由は、なんといっても“達っちゃん”の魅力によるところが大きいのではないでしょうか。ご自身も、クラブに参加して達っちゃんファンになった方から、村外にいるときに声を掛けられたりするそうです。
 
お会いして感じた達っちゃんの魅力はなんといっても笑顔。こちらまでつられて“にこにこ”になってしまうような笑顔です。そして全身から響く声。身体を使って仕事をしてこられた方特有の活力があふれていてなんだか元気になるのです。
60年以上の山仕事を引退した後も20年にわたり「達っちゃんクラブ」をはじめ、様々な活動をしてこられた達っちゃん。そのパワーはどこからやってくるのでしょうか。
 
oda04.jpg
 
●山から教わった生きる力を伝えたい
 
95%を山林が占める川上村。そんな村で生まれた達っちゃんにとって、山は遊び場であり学びの場でもある、まさに生きる場でした。
 
15歳で山守のもと山仕事をはじめた達っちゃんは当時、5匹の秋刀魚をおかずに、なんと5合もの白飯を食べていたそうです。山仕事の過酷さあってのことでしょうが、もりもり食べてがんがん働く!達っちゃんいわく、まさに「食力(くいりき)は剛力(ごうりき)」すごいパワーです。
 
「山は人生のすべて、生きる力を教えてくれた」と達っちゃんはいいます。その“生きる力”を伝えたいという想いを原動力に長年、様々な活動に邁進されています。
 
oda05.jpg
 
●滞ってしまった山とひとのめぐり
 
わたしたちのくらしと山の関わり合いのひとつに林業があります。戦後復興による需要の高まりとともに日本の林業は爆発的に成長しました。“産めよ増やせよ”ならぬ“植えよ生やせよ”で国をあげての植林政策として、成長がはやい針葉樹(スギ・ヒノキ)を日本全国の山に植林していったのです。瞬く間に日本の山林は針葉樹に覆い尽くされた、いわば経済林に姿を変えました。
 
達っちゃんの“生きる力”は山があってこそ。戦後からの林業の発展と衰退を目の当たりにされてきたその胸の内には今、日本の林業全体に対する危機感がつのります。
 
国家主導で「拡大造林」がされてきたにも関わらず、木材の輸入自由化が始まり、海外から安い木材が大量に輸入されるようになると急激に日本の林業は衰退しはじめました。それとともに、植林→手入れ→伐採→植林。という循環をとおして維持されてきた山林が放置されるようになり、台風時の山崩れ、鹿の増え過ぎによる被害などがおこっています。
 
もちろん、何百年も経済林を自然のままにまかせれば広葉樹と針葉樹の入り交じった日本古来のゆたかな天然林へと戻るでしょう。しかし、経済優先による政策で日本の山林の姿を変えてしまったのは人間自身です。だからこそ、達っちゃんが身につけられたような山とかかわる作法や技術をつなぎ伝えて、活かしていくのは人間の役割であり、責任ではないでしょうか。
 
oda06.jpg
 
●あらたな山のめぐりをつくりだす
 
oda07.png
 
このイラストはかつての林業システムとその循環をあらわしたものですが、現在このような山にかかわるめぐりは失われかけています。国土交通省は、2050年までに新たに最大47万ヘクタールの山林が「所有者不明」になるとの推計をまとめました。さらに、放置され荒廃した山々が増えていきます。
 
かつては経済でつながっていた山のめぐりを取り戻すにはどうしたらよいのでしょうか。ひとつの指針として、山をそこに住む人々のもとに託す。ということがあると思います。
 
日本の山林の多くがその山々に住まう人々の所有ではありません。主な所有者は、都市部に住む個人や企業です。そんななか、川上村では三之公の天然林約740ヘクタールを買い取り村有林としました。さらに、その環境や生態系を守るため、入山制限も行っているそうです
 
山林と人々のくらしが近づけば、ちいさな経済規模でもあらたな山のめぐりはうまれるのではないでしょうか。そのためにも、達っちゃんのような山の達人のおもいにもっとふれたいと思うのです。
 
oda08.png
 
なにかと、ともに生きること
 
山とともに生きてきた達っちゃんの84年分の学び。その知恵や知識、山での作法をそのままひとりの人間が受け継ぐことは、不可能かもしれません。しかし「達っちゃんクラブ」や講演会などを通じて、達っちゃんに出会った数千の人々のなかには、達っちゃんが伝えようとしたことが小さな苗木となってこころの片隅に残っているのではないでしょうか。その苗木はそれぞれのひとのなかで育ち、やがて大きな樹となり、まただれかのこころに小さな苗木を残していくと思います。
 
oda09.jpg
 
想ってみてください。
コップ一杯の水を飲むとき、その水はどこからきたのか。
海の魚を食べるとき、その魚はどこからきた栄養で育ったのか。
木のベンチに座るとき、その木はどこでどうやって育ったのか。
想ってみてください。
ビルの窓を雨粒がたたくとき、うつくしい山々に雨が降り注ぐところを。
想いをはせてみてください。
達っちゃんのように、地位やお金やモノではないなにかと、ともに生きることに。
 
oda10.jpg
 
残念ながら「達っちゃんクラブ」は20年目をむかえる今期(平成30年2月10日)をもって終了となってしまいます。しかし朗報が!詳細はまだ未定ですが、川上村にあるホテル「杉の湯」で語り部としてこれからも山を伝える活動をされるそうです。達っちゃんに会いたい!という方はぜひ川上村を訪れてみてください。
 
また、達っちゃんや山のことを知りたい!という方は、1998年洋泉社より刊行、辻谷達雄著の「山が学校だった」を読まれてみてはいかがでしょうか。まだまだその歩みをとめない達っちゃんのこれからを楽しみにしています。
 
oda11.jpg
 
 

お問い合わせ

水源地課
電話:0746-52-0111