公開日 2017年12月8日
2017年12月4日(月)くもり
国道169号から北塩谷橋を渡り左へ約1km進むと大西助五郎の碑があります。
【大西助五郎碑由来】には
この碑は 旧北塩谷の寶泉寺境内にあったが大滝ダムにより水没したため 平成十四年この地に移転された
嘉吉の変(一四四三年)に室町幕府により滅ぼされた赤松家の遺臣が お家の再興のために後南朝の皇子たちに接近した 一四五七年頃 赤松一族は北山宮(自天王)と河野宮(忠義王)の両宮を夜襲 自天王のお首と神璽(しんじ)を奪い伯母谷へ向かう この惨劇を察知した伯母谷の橘将監(たちばなしょうげん)が 川上郷中に伝え 北塩谷の川原で弓の名人大西助五郎が一族の巨頭中村貞友を討ちぬき お首と神璽を取り戻した・・・と記されています。