未来を、うるおす。奈良川上村

No.15

Pakupakukan

「ぱくぱく館」を切り盛りするのは
バイタリティあふれる女性たち。
失敗を繰り返してできた商品は、
ここでしか出会えないふるさとの味に。

川上村の名物、
サクサク、パリンと軽い食感とやさしい甘みの
「山幸彦(やまさちひこ)のかきもち」や、
火打ち石のような形が由来の「火打餅」などをご存知ですか?
実は、村に伝わる家庭の味を
「村おこし」のために商品化したのは、
高原に建つ「ぱくぱく館」に集まった村のお母さんたち。
家事、育児、畑仕事の合間に時間をぬって作り続けてきました。
現在は発起人の井本ハツヨさんをはじめ、
小泉東輝興さん、井筒久代さん、梅本栄子さんの
4名が中心となって川上村の味を伝えています。

「絶対にできるからやってみよう!!」
村のエールと
お母さんたちの想像を超える努力が
30年以上愛される村の土産品に。

「ぱくぱく館のスタートは平成5年。当時、村の婦人会に参加していた人が入ってくれて。32人もおったんですよ。婦人会の行事として昭和62年から火打餅の手作りはスタートしてね。火打餅の商品化には2年もかかったんです。ふつうは一般の家庭で作られていたものやから、あんこがはみ出たり、お餅が柔らかすぎたりして、商品には向かなくて。いっぱい失敗したんですよ。でも、ぱくぱく館設立に尽力してくれた当時のスポンサーが『できるまでやろう!』と応援してくれてね。失敗したもんは捨ててでも、どんどん挑戦させてもろたんよ」。この時の頑張りが実り、ぱくぱく館を村に建ててもらうことになったそうです。ようやく商品化のメドがたつと、井本さんたちは各地の百貨店へ出品。朝早くに村を出て、戻ってくると新しい商品開発のために夜遅くまで準備するという生活が続きました。「井本さんが頑張り屋さんでね。当時は餅だけでなく、たくさんの漬物や弁当を作ったりもして。休みもなくすごいことをやってのけてたんよ」と小泉さん。その言葉に井本さんは「責任が大きかったからね。火打餅やかきもちは、昔から村に伝わっている家庭の味。続けていきたかったんです。実は最近うれしい知らせがあってね。遠方の小学生が授業でかきもちを食べて美味しかったみたいで。『また食べたい!』とのことで、学校の先生から問い合わせがありました」と教えてくれました。食べたらファンになる味。ずっとあり続けてほしいものです。

「空気はいいし、みんな知り合いやし。
この村の一員として居れることが
幸せなんよ」。

畑仕事や家の仕事の合間に「今日やろか!」と声を掛け合いながら気軽に集まるぱくぱく館のメンバー。「この村が好きでね、私らはお婿さんに来てもらってずっと村で暮らしています」という井本さんと小泉さん。「私はよそから来たけど、先輩たちが大切にしてくれるから。最初は家の仕事の手伝いでなかなか村になじめんかったけど、婦人会の遠足や旅行でみんなと仲良くなっていって」と梅村さん。「この空気のいい土地の中で両親を見送って、子どもたちも巣立って。地域の人たちはみんな知り合いばかりであったかい。この居心地のいい中で、仲間と一緒に居れるのが一番の幸せやと思ってます。私たちの願いは、移住してきた若い人たちがすこしでも長く住んでくれることです」。

 
 
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